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JIN道的処置 ~心と心の化学変化を信じて~

自分が感じるありのままに、本当に人に伝えたいことや届けたいこと、新たな表現方法など、特に自分の内面を重視して綴ったブログ。そして、心を豊かにしてくれるような音楽や映画、本などもたくさん紹介します!

教育的配慮やと?ドアホがっ!!

京都教育大学の学生達による集団準強姦容疑に関して、大学側のあの記者会見に腹が立った人達っていうのは多いと思います。

学長は再三再四、「教育的配慮」っていう言葉を口にしていましたが、そんなものは大学の名前に傷がつかないように保身に走っていた言い訳にしか聞こえてきませんでした。

こうゆう人達が教育に携わっていて、またこれから教育の世界に入る人を育ててるのかと思うとそら恐ろしくなります。

さらに逮捕された学生達の言う「合意」

酒の場っていうのはハッキリ言って人間普通の状態では無くなってしまうことも多いので、本当に正確なことを誰がわかってるのかっていうことも怪しかったりします。

だから実際にどこまでのことが行われたのかはわかりません。

でも少なくとも集団でってありえへんやろ?

その女子学生はいっぱい飲まされてみんなに犯されてみたいとでも口走ったって言うんでしょうか?

いずれにせよこれから教育者になろうっていう人間のやることか!!と怒りを感じずにはいられません。

卑怯やねん。

それにこんなん合意もクソもあるか!!

公共の場で集団で性的なことをしてること自体狂ってるやろ?

人としておかしいんちゃうん?

公表しなかった大学も加害者、傍観者だった学生達も卑怯!!

性犯罪だけはほんまに許されへんわ。

こんなもん普通は退学処分やろうが。

生温すぎてなめとんのかって思います。

教育を志す人間がこの有様やと世も末ですね。

あなた達がもう1回小学校から教育を受け直した方がええんちゃうか?

「聖職」が「性職」にならんように(苦笑)。

恥を知れ!恥を!


でも逮捕された学生って、「こんな人に教えてもらったら楽しいだろうなあっていうような人だったからショック」なんていうことを言ってた学生もいたんで、人間ほんまにハメを外し過ぎたらいかんよなあって思いますね。

酒を飲むと変わってまう人達もけっこういますからね。

教師である前に、学生である前に、一人の人間、一人の男だったりするのもわかりますが、やっていい事と悪い事の判別もできないような人間には人を教えることなんて任せられるわけがありません。




Year Of The Gentleman +3

今日はこうゆう気分が悪いニュースを引きずらないように、気分をガラっと変えてNe-Yo(ニーヨ)の『Miss Independent』のPVをどうぞ♪

いかにもNe-Yoらしいセクシーで綺麗なメロディーの曲です。

今年のサマソニに出演決定しましたが、それは何か違和感がありますが(笑)。





     Ne-Yo『Miss Independent』を聴きながら…。



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  1. 2009/06/04(木) 21:35:02|
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懐かしの『まんが日本昔ばなし』

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先々週からTBS系列水曜PM6:55~放映『まんが日本昔ばなし』が始まった。
いつの間にか放送が終了していて、それは子供にとって非常によくないやろうと常々思ってはいた。
世界名作劇場も無くなっちゃったしねえ…。
で、懐かしいなあと思い録画して見たんやけど、そこで見た『かぐや姫』『ちょうふく山の山んば』はオレが子供の時に見たのと全く同じだった。
つまり内容は再放送ってことになる。
ただし今回は当時のものをデジタルリマスターしたハイビジョン映像だそうだ!

実はこの『まんが日本昔ばなし』がメチャメチャ好きやって、毎週毎週テレビにコードをつなげてカセットテープ(歳がバレる…)に録音してたんよね。
ビデオがまだ無かったから…(爆)。
なんせオレが幼稚園ぐらいの頃から父親に使い方を覚えさせられてそういった機材を自由に扱っていた(笑)。
飽きもせずテープがノビノビになるまで何回も聴いてたなあ。
聴覚だけでも十分楽しめた。
最初の頃は市原悦子常田富士男の二人だけで声をやってるっていうのを知らなかった(笑)。
『まんが日本昔ばなし』の本も小遣いをはたいてかなりたくさん買ってたのも懐かしい。
(余談やけど、よく友達の家に行くとテレビから『ザ・ベストテン』やら何やら録音したのを聴かせてもらうと、コードをつなげて録音するというやり方を知らないみたいで、「みんな静かにしてっ!!」なんてことを家族に言いながらゴソゴソと雑音まじりのものだったりなんてことが多かった・笑)。


最近ネットのニュースで「昔話の読み聞かせ減る傾向」っていうのを読んだ。
「桃太郎」など昔話をどうやって知ったか?という問いに「家で読んでもらったり、話してもらったりして知った」との回答が、学年が低くなるほど減少
それだけ幼いうちから親とのコミュニケーションが不十分な家庭が増えて来ているってことなのかもしれない。
これはマズいでしょ!!

自分の幼い頃を思い返してみると、おもちゃはあんまり買ってもらえなかったけど、昔話なんかの絵本や図鑑なんかはけっこう買ってもらってもうボロボロになるまで読んでたように思う。
字が読めなかった頃は母親によく読んでもらってたしね。
これって大切なことやと思うでえ~。

昔話って良い行い悪い行いっていうものをシンプルに小さい子供でもわかるように教えてくれる力強さがある。
まあ大人になってみればそんな単純なものじゃないって思うわけやけどね(笑)。
それでも「ウソをついてはいけない」とか「人の迷惑になることをやってはいけない」とか社会的なルールの基礎を素直にわからせてくれるものがある。
そこがイイのだ!
そして何よりも素朴な「日本人のこころ」っていうものを感じることができるよね。
何とも言えない安心感みたいなものがあるねんなあ。


日本昔ばなしのスタンダード中のスタンダードは以下の作品だと思う。

・桃太郎
・浦島太郎
・金太郎
・一寸法師
・かぐや姫
・鶴の恩返し
・花咲か爺さん
・こぶとり爺さん
・さるかに合戦
・笠地蔵
・おむすびころりん
・カチカチ山
・分福茶釜
・舌切り雀
・わらしべ長者
・塩ふきうす
・ききみみ頭巾


やっぱりこれぐらいの話は子供にも読み聞かせておきたいなあって思うねえ。
勿論オレの場合、毎週録音してたぐらいやからかなりマニアックで面白い話もたくさん知ってるわけやけどね(笑)。


最近は若い子のみならず、中高年の人達の読書量も減っているらしい。
それだけ時間に余裕が無いのかもしれないけど、実に勿体ない。
本によって人生に変化が起こるぐらいのものを得られる可能性も十分あるっていうのに。

読書の秋!ってことで、できるだけ時間をとってゆったりとした時間を過ごしてみたいと思う。




     『まんが日本昔ばなし』のオープニングテーマ曲である花頭巾『にっぽん昔ばなし』を聴きながら…。


  1. 2005/10/31(月) 01:16:53|
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戦後60周年

今年は終戦から60年ということもあって、たくさんの戦争関連の番組が放送されている。
その中でもオレの中に強烈な印象を残した番組がTBSで放送された『戦後60年特別企画ヒロシマ』
番組中一番興味深かったのが、人類史上初の原爆を"開発・投下・撮影"した男、ハロルド・アグニュー博士(84歳)が60年経って初めて広島を訪問するという企画。


「たった一発だからね。毎日毎日空爆するより・・・」
これは原爆投下に関わった博士が原爆ドームの展示を見ながら言った言葉だ。
さらに原爆ドームの展示を見終わった博士は、原爆により多くの女性や子供が犠牲になったことに対して
「戦時中は必ず"罪なき人"と言うがそれは違う。誰もが戦争に貢献した。"罪なき人"はいない」
こう断言した。
戦争に参加してる限り民間人も殺されて然るべきだと言わんばかりだ。
そうやって正当化できるから今まで本当の意味で苦しまずにすんだのだろう・・・。

この後、原爆投下科学者と被爆者初の対話という企画があった。

対話の前に
「作りながらこれは使っちゃいけない兵器だったと知ってらっしゃったのか?」
被爆者の男性はそう語り
「本当に正しいと思ってやれるのか?」
被爆者の女性は責めると言うよりそれが聞きたいと言っていた。

被爆者の生々しい被爆体験を聞いた後の博士の答えは非常にクールなものだった。
「東京大空襲の写真は見ましたが同じことですよ。時間が短いだけで。誰かを非難したいのならあんなことをした日本軍を非難するべきです」
「銃弾で死のうと爆弾で死のうと原爆で死のうと死ぬ時は死ぬんです。恐ろしいことです。お二人は生き残っただけ幸せですよ。死んだ人も大勢いるんですから・・・。私たちの側でもあなた方の側でも・・・」


この答えに納得いかない被爆者が申し訳ないという気持ちはないのか聞いてみたところ
「思いません。私には"真珠湾"が決定的でした。あまりにも多くの友人を失いました。謝罪はしない」

放射能障害は戦争が終わった今でも人を殺し続けているんだと言ってみても
「恐ろしい兵器の存在が逆に大きな戦争を抑止する可能性もあります。今後政府が戦争をしないことを望むだけです。どんな場合でも核が使われないことを望みます。無責任な行為ですから・・・」

そして人類が決して使ってはいけない原爆を使ったという点において謝罪を求めた被爆者に対して
「私は謝らない。彼が謝るべきだ。私は謝らない。こういう言葉がある。"真珠湾を忘れるな"」

といったようにどうしても埋まらない溝を感じた。
加害者と被害者のこの温度差って何なんだろうか?
それは日本とアジア各国とのことを考えてみてもそうだろうけども・・・。

現在、アメリカ・ロシアなど8カ国が約3万発の核兵器を保有-
さらに新たな核拡散が指摘されている-


番組はこう最後に締めくくっていた。
もし世界の3万箇所で核兵器が使われたとしたら、人類は滅亡するにちがいない。

この番組を見て被爆者の人達や日本人はとにかくその惨たらしさを強調する傾向にあるように思った。
だが博士は「死」っていうものはどんなものでも等しいような感覚にあるみたいだ。
どんな形であれ自分の愛する人がそのことによって殺されてしまったなら同じことっていう感覚もわからないではない。
しかし、このことからも「原爆症」のような長期の苦しみをもたらすということへの認識が非常に欠けているように感じた。
これはかなり怖いことだ。
化学兵器を使うことっていうのがいかに人々の心や体、地球の環境に深手を残すものなのかっていう意識があまりにも希薄なわけだから。
今のブッシュのやり方なんか見てると本当に危険極まりない。


日本人っていうのは自虐的歴史観に支配されすぎていて良くないというような声も最近よく耳にするようになった。
確かに第二次世界大戦にしても真珠湾攻撃アジア諸国への侵略行為のことを言われてしまうと立場的に弱く感じてしまうところがある。
実際のところどうなんだろう?
オレがもし教師になっていたとしたら、どうやって日本の歴史を教えたらいいのだろう?ってすごく悩むような気がする。
だって語られる歴史の何が真実なのか?それが正確にわからなかったら意見の言いようがない。
考古学だって自分の名誉のためにねじ曲げられる世界だったりするのだから、誰かが意図的に都合のいい歴史を語っているとも限らない。

歴史を学ぶことは大切だけども、結局は過ぎ去ったこと。
何に目を向けるかで立場も大きく変わってしまう。
戦争のことは忘れてはいけないし、傷跡からたくさんのことを学んで今後の人類の生き方に生かしていかなければならないにはちがいない。
でもそれ以上に、未来に目を向けるべきだ。
それは同時に今現在の世界の問題の根っこを見つめるということでもある。
そうしなければ、あまりにもいろんなものに囚われすぎて過ちを繰り返すだけのように思う。
人類が共倒れしかねない。
「なぜ今こういう現状があるのか?」
その原因を探るのが自ずと歴史の勉強ってことになるのだろうけども。


歴史の勉強をするたびに思う。
「世界平和ってまだまだ果てしなく遠いよなあ・・・」



     FLOWER TRAVELLIN' BAND『HIROSHIMA (from 『MAKE UP』)』を聴きながら・・・。

  1. 2005/08/17(水) 09:47:53|
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クリック募金で教育支援

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今日はまたクリック募金の話。

http://www.dff.jp/

先月いっぱい、花王がやっていたクリック募金「カンボジアの子供たちに文字絵本を贈ろう!」っていうことで以前日記にも書きました。

http://jinnn.blog6.fc2.com/blog-entry-105.html


「カンボジア教育支援へのご協力ありがとうございました」っていう終了報告があったんですけど、その結果
「みなさまのおかげで399,302クリックとなりました。文字絵本を798冊寄付させていただきます。」
ということでした。
500クリックでクメール文字絵本を1冊。
やっぱり塵も積もれば山となるやなあって思いましたね。
でももっとあってもいいんじゃないか?っていうようにも感じました。

未来を担う子供達への教育支援っていうのは本当に重要なことだと思います。
↓こちらでも「世界の子ども達の教育支援」っていうクリック募金をやってますけどね。
http://www.able.co.jp/company/profile/contribute.cfm

世界の教育支援も大事ですが、ほんまにこの日本の教育もなんとかしないと先行き不安ですねえ。
なんか大人が病んでるから子供達まで病んできてるように感じてしまってしかたがないです。
夢見ること、本気で夢中になれること、ちゃんと探してるんでしょうか?
食生活や睡眠などの健康状態は大丈夫でしょうか?
性に関する意識はしっかりしてるでしょうか?
ドラッグなどの誘惑に負けない強い心は育まれてるでしょうか?
流されることなくちゃんと「自分で物事を考えて生きて行く」ことができるでしょうか?
一番心配なのはちゃんと親の愛情を受けて育つことができてるのかどうかってことですね。
特に「三つ子の魂百までも」って言いますから、その時期にちゃんと愛情を受けて育つことができてるのかっていうのはその子の将来にとって非常に気になります。
勿論、どんな環境で育ったとしても軌道修正できない人生なんて無いと思いたいですけどね!
自分が変われば周りの見る目も自ずと変わってくるもんですから。

日本の子供達にも世界の子供達にも、いろんな形で教育支援できるかと思いますが、先ず何よりも大人達が子供達に夢や希望を見せる力を持たないといけないなあって感じます。
特に「人間も捨てたもんじゃない」っていう気持ち、愛し愛される喜びや尊敬し合える心っていうものを教えられるかどうかっていうのが重要でしょうね!
そういった心が、最終的に少子化問題ニートなどの問題への解決に結びついてくるとオレは思ってるんですけどね。
理想主義者の戯言でしょうかねえ?(笑)

とにかく何もやらないよりかはマシだと思うので、これからもクリック募金を続けていきたいと思います!
誰でも簡単にできることですからね。
何らかのアクションをすればわずかながらでも変化が起きると信じてるので。

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     Zenzile Meets Jamika『Love Child』を聴きながら…。

  1. 2005/07/19(火) 11:10:15|
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「カンボジアの子どもたちに文字絵本を贈ろう!」

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オレがココでクリック募金を推奨してることを知ってる人は果たしてどれぐらいいるでしょうか?

http://www.dff.jp/ 

実際オレは毎日の日課になってます。
募金は1クリックしか有効じゃないので、わざわざパソコンを変えて1日2クリックずつすることも珍しくはありません(現在7サイト参加してるので7×2=14クリック)。
金額にすれば本当に微々たるもんです。
でも『千里の道も一歩から』『塵も積もれば山となる』ですよ!
日本がどれだけ不景気だとか言ってても、この地球上で見れば日本人ってみんな金持ちですからねえ。
このオレですら上から数えた方が早いんですから(笑)。
それを思えば、1クリック=1円でも立派な価値が生まれてると思うんですよね。
実際、募金箱見かける度に募金してる人って少ないと思いますからねえ。 

ネット仲間さんが実にイイことを言ってはりました。

「しない善よりする偽善」

オレも何もやらないよりかは偽善者呼ばわりされようとも何かやった方がイイと思ってます。
「言いたい奴は言ってろ!」って放っておきます。
「こんなことで何が変わるんだ?」なんて言ってる暇に1クリックできちゃいますからね(笑)。
オレは微々たるアクションでも何かに影響が起こるって信じてます。
これをきっかけにつながりを持てた人もいるので個人的にはどんどん広がってほしいんですけどね。
普段あんまり価値生産できてない奴ですから(苦笑)、せめてこのぐらいのことはなんて思ってやってます。 

で、今「花王」「カンボジアの子どもたちに文字絵本を贈ろう!」ということで6/30までカンボジア教育支援クリック募金を行っています。

http://www.kao.co.jp/corp/citizenship/c4/oneclick/  

ここでの説明によるとカンボジアは世界で最も貧しい国で、子ども1000人のうち小学校6年生まで終了できるのはわずか69人だそうです。
特に農村部では識字率が低いようですね。
だから幼児に与える文字教材がとても必要なわけです。
500クリックでクメール文字絵本が1冊カンボジアに贈れるということなんでこれってかなり有効だと思うんですよ! 


以前、日記にも書きましたが、オレが最も重要だと思ってるのは教育問題です。
日本でもそうですがやっぱり世界的に重要だと思います。
時に「無知は罪」になりますからね。
人と人が殺し合うような世の中を作ってはいかんでしょ。
だから「自分で考えて生きていく」っていう意味でも、先ず「教育」にしっかり取り組まないと発展は望めないないですよね。
勿論、何を基準にするか?っていうのも難しいですけど・・・。
最近は情けない事件も多くて教育者にふさわしくない人も多いですからね・・・。 


ここからは私事の話になりますが、オレは最終的には「ものを書く」「何かを教える、伝える」っていうところに行き着きたいって言ってきました。
そしてそれまで自分だけの「創造的表現」を模索したいってなことを書いてたわけですけど、その中の一環として例えば「児童文学」「絵本」などの子供達に向けた何かができないもんかなって思ってたんですよね。
まあオレならとりあえず『みんなのうた』でも作るのが手っ取り早いのかもしれませんが(笑)。
とにかく媒体にはそこまでこだわらずに(できれば今までに無かったやり方で)、何か子供達の好奇心をくすぐるようなことはやりたいと思ってるんですよね。
まあ子供に限らずそれぞれの世代に向けていろいろやって行きたいってのもあるんですけど。
なんせあまりにも刹那的な空気がこの日本には漂ってるんで。
 
とにかくたくさん「核」となるものを用意していこうと思います。 

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     Ceredwen『Er Mwyn y Plant - For the Children』を聴きながら・・・。

  1. 2005/06/07(火) 07:42:33|
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大人が子供達にすべきこと

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昨日はこどもの日
オレの歳ならもうそこそこ大きめの子供がいてもおかしくないんやろうけどね。
このまま行くと子作りどころか結婚すら考えられない我が人生…。
それでもやっぱりいずれは自分の遺伝子を残したいっていう気持ちはある。
そうでないとこの世界にとって勿体ない(笑)。


最近は自分の仕事の環境上、子供と接する機会がめっきり無くなった。
実は数年前にはミュージシャンの友達からボランティアに誘われて某市の補導センターで警察の人達と共にバンドを教えていたことがある。
言うまでもなく音楽で更正させるためにね(笑)。
その前には家庭教師も長い間やっていたしね。
そういう場面で若い子と接する機会があって、その度に自分は教えることが好きなんやなあって思ったもんである。
何かを伝えたり与えたりできるっていうことが、とても有意義なことに思えたからね。
自分が必要とされていると感じれることほど幸せなことはない。

実際、もしオレが音楽の道を選択しなければ、教師という道をとっていた可能性も高かった。
ただ、オレが大学在学中はそういう考えに至らず、教職課程をとることは保険をかけているような気もしたので、結局そういう道には進まなかったけどね。
そして何よりも教師というものが所詮組織の中の一員なら、このオレの考え方じゃすぐにハミ出してしまうだろうなとも思ってたしね(笑)。
あえて失礼な言い方をしちゃうけど、国の手先になりたくなかったから(爆)。
オレって自分で言うのも何やけど正義感は強いし、極めて真面目な人間ではあるけども、時に周りが驚く程大胆過激になっちゃうことがあるんよね。
だから心が自由でいられる「創造的表現」の世界に導かれてしまったわけで。
そっち方面でたくさんの人達に心を伝えられたらっていう気持ちが強かった。
勿論その気持ちは今でもちゃんと持っている。

今の御時世、子供達と接する仕事っていうのはもう最上級に重要な仕事だと思う。
この国にとって今一番の重要な問題が「教育問題」だからだ。
ハッキリ言ってこの国は自分が子供の時と比べると恐ろしいまでに病んできている。
小・中学生がドラッグに手を出したり、殺人事件を起こすなんて考えられなかったからね。
子供は大人の鏡だから、それだけ大人もダメになってきてるってことは間違いないんやけど、いかんせん今後の世界を背負って行くのは子供達なわけだから、一番大事なものだけは伝えていかないとこの国はマジで内側から潰れると思う。


「教育問題」は「心の問題」だ。
果てはニート少子化問題までに行き着くし、それは経済問題にまでつながってくる。
最近ではそれぞれの境遇や家庭環境も以前にもまして様々だったりするわけだから、心の問題も複雑化している。
愛情不足から起こる問題もかなり多い。
だからちゃんと人の「痛み」がわかる人間が教師にならないとお話にならない。
「心の問題」は本当に難しいから、立ち向かう度に失敗はするかもしれないけど、それでもちゃんと諦めずに子供達を信じて認めることができる人に教師になってもらいたいなあって思うよね。
なのにこうも教師のエロ犯罪や不祥事ばかり目立っちゃうとそりゃ子供が大人を見る目も冷めて当然やわね…。

今のオレは全く教育とは関係のない仕事をしているけども、いずれは少しでもそういった方面と関わる仕事にシフトして行きたいとは思っている。
若い人達が夢や希望を感じない世界にしたくないっていう思いで音楽を志したっていうこともあるし、そういうオレ自身の気持ちに応えることも何かやりたいしね。
「所詮人間なんて」って思うことが多い世の中やけど、オレの手で「人間もまだまだ捨てたもんじゃない」って少しでも思わせることができれば嬉しい。

今現在のオレは若い子から尊敬されるのには程遠い存在の人間やし、たいした価値生産もできてはおらんのにほんまにエラそうなことを言ってるけども、これがオレの本音だ。
「どこまで自分が夢や希望を見失わずに突き進めるか?」っていう勝負でもあるわけだ。
要は大人は子供達にしっかりと自分が信じた生き様を見せて行くのが一番イイだろうってことだ。

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     TM NETWORK『Children of The New Century』を聴きながら…。

  1. 2005/05/06(金) 00:49:20|
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バカげてた「ゆとり教育」なんて要らない

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今頃になって「ゆとり教育」なるものの見直しが叫ばれるようになってきている。
一番の原因は「学力低下」ってことにあるみたいやけどね。
教科書の厚さも昔のように戻るのだとか。 

そもそも「ゆとり教育」が出てきた時に先ず思ったことが「学生が勉強しなくてどないすんねん!?」ってことやった。
ハッキリ言って学校の勉強の全てが社会に出て役に立つというものではない。
例えば歴史を学ぶことは大切やけども、年号そのものを暗記することにたいした意味なんてない。
そんなものをテストで問うこと自体バカバカしいというもの。
英語にしたって大学まで何年も勉強したというのに結局会話なんて全くできやしない。
英語の文法の構造がどうこうなんて言うことよりも先ずコミュニケーションできるかどうかっていうものが先決だろう。
なんかそういうズレたものが多すぎるねんなあ。
「何故これを学ぶのか?」っていうものがハッキリ見えないようじゃ、そりゃ勉強しようっていう気にならない子供が多くなって当然のこと。
「いかに興味を持たせるか?」っていうのが一番大切やと思う。
それをただ単に押しつけられたカリキュラムでもって勉強勉強なんて言ったところで本当にその子の血となり肉となるのか疑わしい。
興味がわかないことには頭に入ってくるわけがないのだ。
 
オレの場合、暗記科目が得意だった。
ただ覚えてしまえばそれでいいっていうのは楽だったからね。
それはもうクイズやゲームと同じような感覚だった。
しかし、それだけでは通用してこなくなるので、その覚える時に「なぜ?」「どうして?」とちゃんと理由づけを考えて行くようになった。
これが本当に勉強するということだと気付いた。
自分の中で「知りたい」「理解したい」という欲求をかきたてるものが出てきてこそ、勉強の面白さや楽しさがわかるってもんだ。
ゆとり教育なんてのはこのことの意味をちゃんとわかってる子供にしか通用せえへんで!
だいたい一番大事な土台を作らないといけない時にゆとりもへったくれも無いだろう。 

「こんなことしてて自分の将来の何の役に立つんだろう?」っていう意識をいかに取っ払うことができるか?
それを大人はうまく説明してやる義務がある。
実際、大人になってから「もっと勉強しておけば良かった」っていう人達は多いわけやしね(笑)。

そしてその勉強したことを生かすも殺すも自分次第だってこと。
つまり「ちゃんと自分で考えて動く」ということが最も大事なんだと教えないといけないと思う。
そういうことが「自分の選んだ生き方に責任をとる」っていうことにもつながってくるわけやから。
今の世の中学歴なんてたいして意味がないからね。
「生きていくこと」と勉強とをいかに結びつけて教えられるかってことやろうね。
そういう意味ではそこさえ押えておけば、どの教科も満遍なくイイ成績をとる必要なんて全然無いと思う。 

まあ何事も一生勉強ですな(笑)。 

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     alanis morissette『You Learn (from 「mtv unplugged」)』を聴きながら・・・。

  1. 2005/04/08(金) 20:50:09|
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